<ハイブリッド経済(1)>贈与経済の違和感
「シェア」みたいなことを言っているといろんな人に「ああ、里山資本主義ですね」とか「贈与経済ですね」とか色々言われます。その度に「それってなんだろう?」と調べてみるんですが、やっぱりちょっと違和感があるんですよね。
贈与経済は持続可能か?
贈与経済をさかのぼってみると、インディアン(ネイティブアメリカンですが、実際は彼らはネイティブアメリカンっていう言葉のほうを嫌うのでインディアンでいきます)のハイダ族、ニューホーク族などの習慣のポトラッチに辿りつきます。
僕は大学がインディアンの街オクラホマだったのでこの時点で結構興味がわいてきました。ちなみに最近よく言うポットラックパーティ(持ち寄りパーティ)の語源はここから来ています。
ポトラッチは誰かが生まれた時、成人した時、結婚した時や亡くなった時などに干物やカヌー、時には奴隷などをプレゼントしたりしていました。
この世界ではプレゼントすればするほど偉いという価値観なので次第にみんなエスカレートしていきます。等価交換がいきすぎて、交換してもらったものを壊したら、相手も壊すというよくわからない事態になります。それを野蛮だと感じた政府の役人はポトラッチを取り締まるようになりました。
最近ものをシェアするという話をするときに贈与経済の話が違和感があるのはその源泉が名誉欲とか貢献感だからです。
僕らは名誉欲や貢献感のためにシェアをしてたっけ?
sharebase.InCにはたくさんのものが置いてあります。これはほとんどシェアされたものだったりもらいものです。エスプレッソマシン、トースター、ホワイトボード、音響機材、冷蔵庫、電球などなど。食器も本も全部誰かのものです。
これがもし贈与経済だったとしたら、彼らは「ありがとう、こんなのを手放すなんてすごいね!」とか「ありがとう、あなたのおかげで今日も明るい室内を楽しませていただいてます!」みたいなものを求めているっていうことになります。そして、社会的地位をあげるためにいかに自分がその場に貢献しているかを知らしめたくなるはずです。
ただ、現状そんな話は聞いた事がありません。
たとえばホワイトボード。これはある人が自分のイベント用に「持ってきてもいい?」と僕に聞いたので「いいですよ」と答えて持ってきました。イベントが終わって帰るときに「これさ、持って帰るのもあれだから、置いてってもいい?」と聞いてきたので「もちろん!僕らも使っていいですか」と聞きました。
そうすると「全然いいよ!減るもんじゃないし」
と答え、いままさにずっとそのホワイトボードが鎮座しています。めっちゃ活用しています。ありがとう、トーマスさん(日本人)。
これは搾取か?だとすると、どっちの搾取か?
で、ある見方をすれば「sharebase.InCが無償で個人からホワイトボードを提供してもらった」となってうがった見方をすれば搾取していることになります。本来だったらレンタル料金を払わないといけないですもんね。でも払ってない。搾取だ。
一方で彼のほうからすると、まあ実際はそこまで気にしてないというのが本当だと思いますが、本来保管するための倉庫代、場所代みたいなものが発生してるわけです。それを無料で保管してくれてるのがsharebase.InCだったりします。
お互い、名誉や貢献感のためにではなく相互のメリットによってこの「ホワイトボードを無償でsharebase.InCに置く」ということが起きています。これって贈与経済じゃないですよね。
贈与経済はGive and Give。でもこの経済はお互いTake。名誉も貢献もなくても成り立つ取引です。この経済をなんと言ったらいいんでしょうね。物物交換の派生みたいなものでしょうか。
僕のこういった違和感をほどいてくれたのが、これです。ドンピシャかというとまだ少しなんですが、かなり近い。
著者ローレンス・レッシグはいわゆるお金を使う経済(商業経済)とお金を使わない経済(共有経済)があって、それぞれ役割がある。そしてそのハイブリッドが生まれつつあるというのを事例を含めて解説してくれています。
- 作者: ローレンス・レッシグ,山形浩生
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次回はこの辺について書きたいと思います。