ShareBasedのコミュニティ学

WEBとリアルが融合したコミュニティを、どう運営すれば良いかの実験の記録です。

<ハイブリッド経済(8)>盗んだ野菜で八百屋を開く。というのが成立するとき。

あるマンションで、みんながシェア菜園で野菜を育ててるとします。ここの野菜は無料でもらえます。

f:id:gaomutaihon:20150410131331j:plain

そこからトマトやきゅうりやいろんな野菜を持って行って、八百屋を始めた男がいるとします。

お客さんは当然普通に美味しそうな野菜なので、お金を払います。

直感的にこの話に危うさを感じませんか?こいつただの泥棒じゃん!とか、このお客さん何も知らずにのんきだなとか。シェア菜園でもらえばいいのに。とか。

 

でも、これと似た状況で、みんなが何が起きているか知っている状態で成り立っている経済があります。そしてそれが、ハイブリッド経済の出口のわかりやすいひとつだなと思いますし、ゆえに、「お金とは何か」というのをより正確に捉えないといけないなと思います。

無料で手に入れたものを有料で売る。Linuxを囲む経済

コンピュータ苦手な人、戻るボタンを押さないでください。怖くありません。コンピュータは友達です。

Linuxとは、OSです。Windowsみたいなものです。ひとつ違うのは、無料だっていうことです。だから世界中でLinuxが使われています。MacOSも、(BSD UNIXベースだそうですw)AndroidもベースはLinuxです。テレビ、カーナビ、医療機器、携帯電話もいろんなところにLinuxが使われています。Facebookも、Googleも、Amazonも、TwitterLinuxを使っています。

youtu.be

 

さらに世界のスパコンTOP500のうち485台がLinuxを使っています。(2014年6月時点)

 

japan.zdnet.com

 

このLinuxはどこの会社が作っているのでしょう?実は、会社はありません(財団はありますが)。全てオープンソース、つまり世界中の法人個人関係なく様々な開発者が関わって日々作っています。無報酬で。だから無料です。そして、かなり多くのシェアを持っています。

なぜ無報酬で開発をしているのか、というのはものすごく深淵な疑問なのですが、ここでは本筋ではないのでヒントになるリンクを貼るにとどめます。

The Cathedral and the Bazaar: Japanese

とにかく、別に親切でやってたり社会貢献でやってたりしてるわけじゃないです。自分の夕飯をつくるのが社会貢献でないように。必要だからやってるだけです。

さて、そういうわけでLinuxは無料です。しかもいろんな人がいろんなバージョンをつくっているのでカスタマイズもし放題です。ところが!なんとその無料の材料を組み合わせるだけでお金を儲けている人たちがいます。Red Hat始め、ディストリビューターという会社たちです。上のマンションの野菜状態ですね。

www.redhat.com

当然のことながら「俺たちがコードを書いて、それを有料で売るとはどういうことだ!」と文句が相当出たようです。よく考えたらすごい話ですよね。でも、だとしたらそもそも商売として成り立たないはずです。だって無料で手に入るものを有料で買う人がどこにいるんでしょう?

しかし、あえてお金を払う人たちがいました。普通の会社です。法人です。彼らの背景を理解すればそれはそれで理解できる理由でお金を払っています。

逆にお金を払わなかったらどうなる?

無料でOSを手に入れて全社員1000人くらいで使っていたとしましょう。めっちゃ節約できましたね。しかしある日バグが見つかってシステムがダウンしてしまいました。これ、誰の責任でしょう?誰を責めますか?

まず社内SEを責めます。「どうなってるんだ!」と。社内SEは業者に責任を求めます。が、責任を求める業者はいません。しかし誰かを見つけないといけないので何百万と存在するLinux開発者の中から気の弱そうなやつを選び「お前、どうしてくれるんだ!」と責めてみます。おそらくその開発者は

http://chisatomusik.up.n.seesaa.net/chisatomusik/image/E383AFE383B3E3838FE3829AE383B3E3839EE383B3EFBC91.png?d=a1

「は?知らねえよ。ていうかなんで金をもらってるわけでもないのにそんなこと言われなきゃいけないんだ?」

「そしてその文句は誰に向かって言ってるんだ?俺がすべての責任があると、本気で思ってるのか?」

お金を払ってないということはシステムの責任を全部自分で持たないといけない、ということだったのです。ちゃんちゃん。

そして上記のディストリビューターはまさに「責任を負うこと」「万が一の時に責められること」を価値として存在しています。法人としては「頑張ったけど止まりました」「でも僕らも趣味ですから、そこまで時間割けません。」とか言われたら、事業継続できないですよね。保証してくれる何かが必要なんです。彼ら法人にとってはそれがディストリビューターだったわけです。

無料の野菜を有料で買う

シェア菜園は誰がどんな品質のものをつくっているか正直わかりません。栄養状態もわからない。勝手にもっていってもいいですが、食べてお腹壊しても自己責任です。

しかし、この男、無料の野菜で八百屋をはじめた男は責任をもつことになります。お金をもらってしまったから。責める理由をつくってしまいました。「お金払ってるんだから、どうにかしてよ!」って簡単に言えますよね。

逆に、もしシェア菜園をやっている人が「これでお腹壊したんだけど!」って言われたら

http://torendomania.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_200/torendomania/m_image-695f1.jpg

「じゃあ、食うなよ・・・てかこっちは好きにやってるだけなんだからそんな文句言われても・・・」と思ってしまいます。

お金をもらうってそういうことなんだと思います。価格を下げるというのはとれる責任を低くするっていうことだと思います。上げるっていうことはその逆。

僕らは何にお金を払っているのか?

僕は人はモノの価値に対してお金を払っていると思っていました。でも、だとしたら、Linuxの開発者に対してお金が払われているはずです。少なくとも請求されたら「これは払わないとな」と直感的に思うはずです。でも、そうじゃない。カフェで食い逃げするのが直感的にまずいと思うのにも関わらず。だからモノの価値に払っているというのはちょっと違う。

かなり大きな割合として「お金を渡す=責任=どうにかしてくれる」というのを期待しているんじゃないでしょうか。そして、もしそうだとしたら、そこにおいてハイブリッド経済が成立するんじゃないかなと思います。とりあえずLinuxにおいては成立していますね。

Linuxディストリビューターにおいては

商業経済・・・Linuxのパッケージング、保証

共有経済・・・Linuxの開発(自分のためにやっている)

ということになります。これを横展開できないかやってみた例を次回書きます。