<ハイブリッド経済(7)>換金できない、オープンソース文化
オープンソースとは何か?
初音ミクです。
なぜ無料でつくるのか。
オープンコンテンツがなぜ無料なのか、つくっている人たちはなぜつくっているのか、というのはニコニコ学会でプレゼンテーションをしていた宮下芳明先生のこの話がわかりやすいです。
ところで、コンテンツ産業に目を向けてみると、すごい階層構造があることにみなさん、お気づきかと思います。すなわち、アーティストという少数のコンテンツ生産者がいて、私たち大衆は聞かせていただく、読ませていただく、見させていただく、そしてそのかわりに金を払うという図式があります。
こういった考え方に毒された大人たちはこんなことをいつもいいます。ブログが始まると、個人の日記をさらして誰が見るの。そんなのどうせプロにかなわない文章クオリティなのに。
Youtube, そしてニコ動, そしてUstreamのようなサービスが出た時には一般人のホームビデオなんて誰が見るの、そんなのテレビのクオリティを越えられるわけがないのに。
そしてスマートフォンが発売された時には一般人がつくったアプリが動く携帯なんて何が面白いの、そんなの企業がつくってればいいじゃん、と言ってきました。
あげくの果てには若者にこんなことを言うんですね。
「作曲家になって食っていくつもりもないのに、どうして歌をつくるの。」
ということを言います。せっかくのばなのであえて言いたいと思います。
表現というのは人間の本質的な活動で、まず、限られた人々だけのものではありません。そして、そのモチベーションは全くお金ではありません。表現して、その表現を楽しんでもらったり、驚いてもらったり。それが、それさえあれば十分なんです。
そういう意味でニコ動のコメントというのは制作者のモチベーションを高めるための新しい通貨だと考えております。
(ちなみにニコニコ学会自体も東北大震災の後の原発批判でテクノロジーに対するアンチの波に危機感を持った独立行政法人産業技術総合研究所の江渡 浩一郎氏によって立ち上げられた、ユーザー参加型研究の取り組みです。グッドデザイン賞も受賞していて僕自身も面白い取り組みだと思います。)
オープンソース文化は、そのまま文化的活動
ものをつくることは商業的な活動でもありますが、文化的な活動でもあります。その影響力が、昔はちょこちょこつくるくらいだったのが、広く一般にも使えるくらい伝播しやすくなったがために商業的なものづくりと競合しはじめたのがオープンソースの問題だと思います。
だからどうしても共有経済の中で完結してしまいがちです。商業を混ぜるととたんにこの問題が噴出します。
ニコニコ学会はイベントとして運営もしていますが、その母体となるニコニコ超会議自体が赤字らしいので、商業経済にうまくむすびついているかというと、直接的にはなさそうです。コンテンツとして広告収入に寄与している部分はあると思いますが。
一方でこういうオープンな場はどんどん増えています。ソフトウェアにはじまり、デザイン、ハードウェア、そしてコンテンツなどなど。このオープンの流れは商業に反しています。ではこれは商業経済に接続することは難しいのでしょうか?
その中でもいい事例だよな、と思える取り組みを次回紹介します。