<ハイブリッド経済(3)>混ぜるな危険。あなたの笑顔がお金に見える。
前回、ラッスンゴレライは商業経済でありながら共有経済の恩恵を得ているという話を書きましたが、本来この二つは混ぜるとめちゃめちゃ危険です。今回はそのあたりの話です。
そもそも商業経済と共有経済の定義ですが、ローレンス・レッシグの定義でいうとシンプルで
商業経済・・・お金をつかう経済
共有経済・・・お金をつかわない経済
ということなので、ここではそれに沿って話を進めます。
経済ってお金じゃないの?
経済の語源は経世済民(世を治めて民を救う)だったりエコノミーの語源はオイコノミア(古代ギリシャ語で家計のやりくり)だったりします。
が、僕の一番好きな定義はこの本にある、
経済=たくさんいる「最適化する個人」の取引全体
というものです。
(この本は漫画でめちゃめちゃわかりやすいです)
この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講
- 作者: ヨラム・バウマン,グレディ・クライン,山形浩生
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最適化っていうのは、自分にとって良い状態をつくるということです。その意味では当然お金を稼いでキャバクラに行くのも経済活動ですし、ただ昼寝するのも取引はしてないですが最適化はしていると言えます。働くよりもダラダラするほうがその人にとって良い状態であれば。
だから物物交換も経済ですし、友達の結婚式のムービーをつくるというのもお金もらわなくても当日盛り上がる、友達が喜ぶという報酬を得るための経済活動と言えます。
だからそれぞれの事例はこんな感じです。
商業経済・・・コンビニでコーラを買う、電車に乗る
共有経済・・・お母さんが子供にご飯をつくってあげる、恋人同士でデートをする
それぞれについてもう少し詳しく見てみましょう。
楽&スピーディ!商業経済はなくてはならない
もしコンビニが物々交換だったらどうでしょう?
コンビニ「うちは今、バレンシアオレンジがほしいからバレンシアオレンジだったらコーラと交換するよ!」
客「バレンシアオレンジ、どこで調達しよう・・・?」
となってしまいます。もしくは
コンビニ「(この人はいつも私の髪型褒めてくれるし好きだなあ)ねえ、コーラいらない?あげるよ!」
客「ありがとう!(チェッ、めんどくせえなあ、コーラもらうのにどんだけ褒めなきゃいけないんだよ)」
というのも共有経済的取引です。いちいちコンビニ寄るたびに褒めなきゃいけないし、違うコンビニでは全く通用しないものです。
もしくは
客「ねえ、コーラちょうだい!」
コンビニ「(こいつは昨日のニュースに出てた殺人犯だ・・・!)誰がお前に渡すもんか!」
というふうになります。商業経済であればあなたがどんな悪人だろうが150円あればそれとコーラを交換してくれるんです。しかもその場で。なんて便利なんでしょう。
と、ここまで取引において共有経済はめんどくさい、と書きましたが、それでも僕たちは日常的に共有経済をかなり行っています。
あえて命名するほどでもない、ありふれた共有経済
共有経済というと「ああ、家をシェアしたりするやつね」となるんですが、もうちょっと待ってください。ここでの話を整理するとなぜいけてるシェアハウスといけてないシェアハウスがあるのかを説明することができます。
上で「お金を使わない経済」と書きましたが、これはめちゃめちゃ日常にありふれている行為です。
今までお母さんが作ってくれたご飯にお金を払ったことがありますか?誕生日プレゼントにお金を払ったことがありますか?デートに付き合ってくれた恋人に時給を渡したことがありますか?いい映画を教えてくれた友達に情報料を払ったことがありますか?(払ってたら、もうその人はプロで商業経済の取引ですね)
僕らは共有経済の中でも生きています。多くの場合この取引は気持ちのやりとりであり、関係性を育むものです。相手が喜んでくれるからやる、というもので、年賀状をくれた人に感謝の念を感じるから感謝料を銀行振込するっていうのが違和感ありまくりなように。
共有経済はとてもパワフルで、時に商業経済では得ることのできない価値を創出したりします。
僕はタイ生命保険のCMはほとんど全部見たことがあるくらい好きですが特にこのCMはわかりやすい例です。
「3袋の鎮痛剤と1袋の野菜スープ」 タイの感動的なCM(日本語字幕) - YouTube
このCMの中では、お人好しなおじさんが盗みを働いた子供をかばいます。30年後、そのおじさんは病気で倒れるのですが、成長した例の子供によって助けられます(このへんはマジで動画を見てみてください。2分57秒なので)。
さて、超ドライに考えると、ものスゴく投資対効果が高い取引です。これは鎮痛剤と野菜スープを高額な医療技術と交換するという物⇄サービス交換によって成り立っています。これを商業経済でやったとしたらどうでしょう?30年で1000円もしないものを250万円にするという偉業です。複利計算だと年利30%を継続して30年間するという離れ業。「年利3%を目標にしましょう!」という投資サイトがある中でもかなりの投資対効果だと言えます。
もしこのおじさんがそれを狙っていたとしたら相当目利きな投資家です。
まあ、それはないにしても共有経済にはこんな規模の経済効果が有りえます。そして何よりこのおじさんと医者の友情の価値がおまけでついてきます。おまけどころか、これはお金で誰も交換してくれないかけがえのない価値です。
フランスの英雄的飛行士サン・テグジュペリは「人間の土地」の中で
何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対になりえない、旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。この種の友情は二度とは得がたいものだ。樫の木を植えて、すぐその葉かげに憩おうとしてもそれは無理だ。
これが人生だ。
と語っています。
30%×30年(複利)効果とかけがえのない友情を得ることができるのが商業経済にできなくて共有経済にできることです。
混ぜるとどうなる?商業と共有
ローレンス・レッシグはこの二つの経済が交じり合おうとしていると言っています。それは主にテクノロジーの進化のおかげなんですが、混ぜることによって危険な面があります。たとえばこういう状況を想像してみてください。
ある夫婦がキスをした。夫はめちゃめちゃな幸福感に包まれた。彼はその感じた価値を彼女に返さなければならないと思った。
夫「はい、一万円!」
妻「は?」
という状況です。
夫「え、ごめん・・・足りなかった?もう二万円でどう?」
妻「Fuck」
という話になります。
妻からすれば「私はなんなの!」とか思います。仮に一万円だったとしたら「一万円で交換できるほかのものがあれば私のキスはいらないのね」となります。吉野家の牛丼30杯と交換可能なわけです。それがあればいらないんです。彼女なんか。そういうメッセージを暗に伝えています。
また、こういう状況もあります。
男A「俺さあ・・なんか疲れてるんだよね。」
男B「疲れてるのか」
男A「ちょっと俺に笑顔をくれよ。癒してくれ。はい、一万円」
男B「おk。(満面の笑み)」
男A「(こいつの笑顔信用できねえな)」
となります。当然ですが、どんなに完璧な笑顔だったとしても、その笑顔の一部分(もしかしたらほとんど)は彼にではなく一万円に対して注いでいるからです。
共有経済にお金を下手に混ぜると危険です。なぜなら関係性とは本来「かけがえのない」ことが前提だからです。「かけがえがある」と伝わった瞬間にその関係性にはヒビが入ります。これはお金が絡まなくても容易に想像がつきます。仮にどちらも大事だったとしても
妻「私と娘、二人とも溺れてたとしたらどっちを助ける?」
夫「(なんてことだ・・・俺にはそんな決断はできない。二人とも俺の命より大切なんだ。しかし、本当にどちらかを選ばなければならないとしたら・・・)娘かな」
妻「Fuck」
まあ、この妻も妻なんですが、関係性を比較しちゃいけないんです。二つとも大切なものだから。でもどちらかを取る、となったときに関係性をないがしろにされたと感じるんです。
※ちなみに中国ではこの質問は鉄板な質問だそうです。
この非常に危険な混ぜ方をすでにしている人たちがいます。わかりやすいのはネットワークビジネス。「友達と思ってたのに!私のことをお金だと思ってたのね。」というのがよくあるオチですが、まさに上記の構造。それを「夢」というわかるようなわからんようなドライバーで無理やり推進させる。(その夢だって「ベンツを買えば幸せ」とかいう思い込まされた夢だろうに・・)
ここで重要なのは「ネットワークビジネスだけが危険」というわけではないということです。「下手な商業経済と共有経済の混ぜ方」が危険だからです。変な宗教もブラック企業も友達との大人な付き合いもこれが原因なことが多い。
アリなハイブリッド経済とは?
では商業経済と共有経済は融合させるのは難しいことでしょうか?ある意味ではそう思います。ただ、うまくいっている事例もあります。
あ、ちなみに上で書いていたいけてるシェアハウスといけてないシェアハウスの違いは
いけてるシェアハウス・・・共有経済の恩恵を含んだ商業経済(住んでる人が非常に気のあう人で、良い関係性を持てる環境が整っていて、住むこと以上の価値を感じる)
いけてないシェアハウス・・・商業経済(でかいリビングがあれば個室小さくても満足だろ?なんて投資対効果高い清貧なやつら!的な考え。大きいシェアハウスであればいいと思っているが、実際は大きくなるほど中でコミュニケーションをとることはできづらくなる)
だと思います。ほんとね、シェアハウスじゃなくて集合住宅っていえよ!って思う。
次回はその事例について書きたいと思います。
追記(2015/4/1)
※タイトルは稀代の芸術家・弓指寛治氏の個展より引用